第四話 里と奥山を結ぶ
自然が仕掛けた謎に挑んで、その醍醐味を味わうと、往々にして自然は、関連する謎を追い討ちをかけるように仕掛けてくるものだ。
1.驚くようなニュース
昨年(2016年)2月、石川県白山地域でのサルのセンサス(群れの数と群れごとの頭数および社会構成の調査)時に、イヌワシの奇異な行動を観察した。そして第3話で紹介した通り、その行動の謎を解く過程で、奥山に生きる猛禽イヌワシの弱点をしかと認識できた。
白山でのサル・センサスは今年も2月中旬(12日~19日)に実施された。調査地入りした翌日(13日)、石川県白山自然保護センター・ブナオ山観察舎(第三話・第2節と図2参照)を訪れる。2階、観察室の机の上に、A4版1枚の『ブナオ山観察舎だより・平成29年2月号』が、来訪者用に無造作に置かれていた。
モノクロで両面印刷された表の面に踊る大きな活字が目に飛び込む。「2つがい飛ぶ・ブナオ山のイヌワシ健在」。しかも写真付きだ。
えっ、2つがいが。よし、サル・センサスのついでにイノシシの情報収集をしよう。そう決めた瞬間、私がなにを直感したかは後に述べるとして、まずは尾添川流域のイノシシの生息状況をみよう。
2.イノシシは何頭いるか
その夜、調査員の皆に、どこで何頭イノシシを見たか、白地図に毎日プロットしてくれるよう頼む。今年は山雪で1mほどの積雪があり、さらに初日から4日間はおもに夜間に降雪、日中は青空がときにのぞくといった調査に良好な天候に恵まれて、遠くの斜面にいてもなんとかイノシシを発見することができた。
尾添川の支流、雄谷流域(第三話・図1参照)にすむサルの群れ担当の調査員による情報は信じがたいものだった。その日(13日)、18頭もの集団を雪深い中で見たというのだ(うち大柄な個体4頭以上)。しかも調査員は同じ場所で、翌14日は12頭、15日は8頭(大柄な個体4頭)、16日は24頭(大柄な個体7頭)見ている。頭数はいずれも同時カウントの数で、実際はもう1~数頭、積雪の亀裂に潜り込んで採食していた可能性があるという。なお、以下では大柄な個体を「大」、昨年生まれのコドモを「小」、大と小の中間の個体がいれば「中」と呼ぶ。
サルの調査地、尾添川流域の白山国立公園内や境界域での観察から、年ごとに数が増えている印象を強くもっていたが、1ヶ所でこれほどの頭数が目視されるとは思ってもみなかった。そこで調査地に何頭いるか、重複(ダブルカウント)がないよう24頭が数えられた16日を基準に、他の場所での情報を重ねてみる。
16日のほぼ同時刻、私は24頭の集団がいるより250m以上斜面上方で5頭(大1、中2、小2)を見ている。積雪の亀裂の中にいたので、小を1~2頭を数え落とした可能性がある。
また、前日の15日にはブナオ山観察舎から、正面オオノマ谷の右岸で5頭(大1、小4、数え落としあり)、左岸で1頭(大)を見ている。16日も同じ場所にいたと観察舎の業務日誌には記載があるし、距離からいっても、先の雄谷で目視された24頭および5頭との重複はない。常駐職員によれば、今冬オオノマ谷にひとかたまりでいた最大頭数は8頭(大2、小6)という。
別の調査員は観察舎からずいぶん離れた尾添川上流の大きな支流、蛇谷にある白山自然保護センター・展示館(冬季閉鎖中)の少し下流右岸で1頭(大)、上流右岸で5頭(大1、小4)を目視している。
以上を単純計算すると41頭+α(数え落とし数)になる。さらに調査地内には、たまたまサルの群れがいなかったので双眼鏡でじっくり捜していない地域がある(見落とし数)。
3.足跡を読む
16日の午後。私の座っている位置からは尾添川を挟んで対岸、地図上で計った直線距離で1500mほども離れた雪の急斜面に、足跡を発見する。少し仰ぎ見る形だ。この足跡は前日に雪が降ったので真新しく、前記したいずれの場所からも距離があり過ぎるから、目視頭数に足せる。
積雪があれば、少々遠くても、双眼鏡(倍率8~10倍のもの)で見て、雪上の足跡がイノシシかカモシカかサルかは、見慣れれば判別はたやすい。ただ、その足跡ははるか遠いので、何頭分かを正確に読み取るのはむずかしい。足跡は1本の太い縦の直線と、直線の左側上下にある2本のやや細い半円形の曲線からなっている。初めて見る紋様だ。
風がなく、珍しく日差しに温もりがある。タバコをくゆらせながら、何頭が何をしていたのか、しばし想像を楽しむ。数はいまが繁殖期だからオスとメスの2頭だろうか。直線の太さからそんなことはないよな。母親とコドモ1組かもしれない。もっといそうだ。2組か、それ以上か。想像の世界では頭数はいくらでも増やせる。
では、かれらはそこで何をしていたのか。直線は登った跡か下った跡か。半円二つの曲線は、すぐ後ろから来る個体か集団を避けたのか。追い越したのか。先頭集団が立ち止ってしまったのでやむを得ずか。母親が近くに食糧を求めてか。そこにオスがいたとしたら・・・。これも切りがない。
しかし、勝手な想像を楽しんで、至福の時間にどっぷり漬かっているわけにはいかない。サルの調査に戻ろう。自信はないが、足跡の太さから、ここでは母親とコドモ4頭の2組10頭ほどとしておこう。
いずれにせよ、目視数+数え落とし数+足跡による推定数+見落とし数+サルの調査地外の南向き斜面(後述)にいる数の合計が、雄谷源流域をすみかとするイヌワシの行動圏にいることになり、驚くほどの頭数だ。
4.冬場のイノシシの暮らし
今回の調査でイノシシを目視したり足跡を見つけた場所は、すべてが南に向いた急斜面だった。その急斜面の谷筋では雪崩が頻発するし、積雪には亀裂が生じる。
そこは樹木が生育せず、高茎草原(地元では“なばた”という)になっている。高茎草原とはヤマヨモギ、ハクサンアザミ、シシウド、オオハナウド、オオイタドリなど丈(茎)が人の背丈を超えて高くなる草本類の群落で、いずれも多年草だから地下茎が発達している。しかも雪が積もったり消えたりを繰り返すから、地面はぬかるんで柔らかい。
白山のイノシシは冬場、狩猟されない国立公園内や境界域に逃げ込み、そこで悠々と、ありあまる地下茎を掘り起こして食べているのだ。また夜の酷寒は、雪の亀裂の中や雪崩跡の雪洞にもぐり込めば十分しのげる。ということは、どれほど雪が降り積もっても、南向きの急斜面なら生きていく上で問題はなく、きっと、これからも増え続けるに違いない。
5.イヌワシにとっての天の恵み
『ブナオ山観察舎だより』の大きな活字を目にして、私がなにを直感してイノシシの情報集めをしようと決めたか、ここまで書いたことで読者諸兄はおおよそ見当がついたことと思う。
白山のイヌワシにとって、少し前までは、自分はなにもしないで(獲物の生死に直接関わらずに)大量にありつける天の恵み、大型哺乳類の死肉といえばカモシカだけだった。そこにイノシシが入って来た。
イノシシはカモシカとは生活史を全く異にする。寿命はずっと短い。繁殖を開始する年齢も早いし、毎年出産する。出産数も1度に4~5頭と多く、年に2回のこともある。すなわち、カモシカに比べ、じつに“回転の早い”生涯を送っているのだ。
しかも目視したり足跡を見た南向きの急斜面の面積(サル調査地の面積)は、雄谷のイヌワシの行動圏にある南向き斜面からすれば、5分の1から10分の1ぐらいではなかろうか。
そうすると、イヌワシにとって繁殖期として重要な時期である冬場に限っても、おそらくカモシカの死肉の何倍も、イノシシの死肉にありつけているはずだ。体重も成獣で比べてイノシシの方が2倍以上ある。となれば、ままで1つがいだった地域に2つがいが生息できるようになったとしても、なんの不思議もないだろう。
また、『ブナオ山観察舎だより』にある「ブナオ山のイヌワシ健在」というのは、12月2日に1羽の旋回が確認されたのを最後に、以後1月初めまで観察舎からは見られず、常駐職員はイヌワシがいなくなったのではと、その間ずっと心配していたからだ。その点は第3話で書いたように、観察舎から見えるブナオ山のてっぺんからは離れた場所で、イノシシ3頭ほどが、10日ほどの間を置いて死んだと仮定すれば、とくに心配する必要はなかっただろう。冬場は気温が低く雪もあるから、肉は腐りにくく長持ちする。イノシシばかりでなく、うち1頭はカモシカだったとしてもいい。
話は変わるが、サル・センサスの調査地内で、イヌワシだけでなくクマタカの数も増えている気がする。
6.イヌワシにとってのさらなる吉報
白山でのサル調査中、私はシカを一度も見ていない。しかし、観察舎の常駐職員によれば、2013年4月に1頭見たのが最初で、その後2015年1月に1頭、2月に8頭、翌年12月に3頭、そして今回私が調査に入る前の1月にも1頭見たという。どうやらイノシシのあとを追うように、シカも続々と調査地入りしているようだ。
生活史を比較すると、シカはイノシシのじつに“回転の早い”生涯とカモシカの“遅い”生涯の中間ぐらいに位置する。そして体重はイノシシと同様カモシカの2倍以上だ。
そうすると、日本各地で見られるシカの分布域拡大および個体数増加のスピードからいって、ごく近い将来、雄谷だけでなく尾添川流域にすむすべてのイヌワシにとって、シカの死肉がさらなる天からの授かりものとして食物メニューに追加されることになる。かれらの行く末を、私はこれからいつまで見続けられるのだろう。
7.イヌワシはイノシシを襲えるか
まだ小さくて頼りなげなコドモ3~5頭を引き連れて、イノシシの母親が雪崩跡に積もった雪や急斜面の雪原をラッセルしながら横切っていくのを、これまで何度も見ている。そのたびに、イヌワシが(クマタカを含めてもいい)上空から急降下して、行列の最後尾のコドモ1頭をわしづかみする様子をつい想像してしまう。
重い胴体を雪面に引きずりながら、短い足で休み休み懸命にラッセルする母親の、スピードの遅さはいかんともしがたい。あとに続くコドモたちは母親のラッセル痕を忠実にたどる。母親より先に出ることはけっしてないし、コドモ同士で順番が入れ替わることもない。前の個体の尻に鼻先をくっつけるようにして、皆黙々と下を向いて歩く。
だから上空から襲われても防ぎようも逃げようもない。母親も助けようがない。しかもイノシシはカモシカやシカやクマと違って毛皮が薄くて柔らかいから、イヌワシが太く鋭いつめを背中の2ヶ所に食い込ませるのも簡単だ。そうされたコドモが首を上下左右に激しく振ってもがき、四肢をばたつかせて抵抗しても、それで翼などを痛めることもない。捕まえて飛び去る前方に、飛翔の妨げになる障害物もない。
ところで、イヌワシは滑空後、獲物がどのくらいの重さまでなら上昇飛行に移ることができるのだろう。いや、そのまま持ち運ぶことを考えなくてもいい。コドモが少々重くても、襲ったときの惰性で10mぐらいなら下方へ滑空できるはずだ。そこで、重いからいったん放す。コドモは雪面にたたきつけられ、転げ落ちる。止ったところを再び襲う。それを数回繰り返されて、それでもコドモはまだ生きているだろうか。大怪我を負ってはいないか。母親のいるところまでひとりで急斜面をラッセルして登っていけるのか。おそらく無理だろう。イノシシのコドモのハンティングをイヌワシならきっとできる、と私には思える。
イヌワシは険しい山岳地帯の住人、イノシシは平坦な低地の住人として、日本列島でたがいに無関係な長い歴史を刻んできた。その後私たち日本人の祖先が渡来し、現在ではイヌワシは奥山の人の立ち入らない地域で孤高に生きる絶滅危惧種、イノシシは里で農作物をめぐって人と熾烈な戦いを繰り広げる駆除対象種である。そんな両者が、いまの死肉漁りを越えて、生態学的な食う食われるの関係になるのもそれほど遠い将来ではなさそうだ。自然界の変化は、私たちが想い描く以上にドラマチックなのかもしれない。
第三話補遺Ⅰ.イヌワシとクマタカのすみわけについて
ブナオ山観察舎の真向い、ブナオ山南西斜面では、第三話で書いたように、おおよそイヌワシは標高800mより上部を、クマタカは1000mより下部を利用しているのは確かだ。
ただ、白山北部山域の大きな谷々はV字型に深く切れ込んでいて、谷底から尾根までの標高差は500mを超え、1000m以上の所もある。一方、谷底の標高差は上、中、下流のいずれでもそんなに極端な違いはない。したがって、観察舎から見た標高差による両者のすみわけを白山で一般化してしまうと、どの谷でも、谷底に近い低いところをクマタカが、尾根に近い高い所をイヌワシが利用するというおかしなことになってしまう。
むしろ尾添川流域でいえば、大きな支流ごとに、イヌワシは人工物がなく人の気配も一年を通してほとんどない源流域や上流域、クマタカは近くに集落があり舗装道路があって車が往来し、温泉旅館街やスキー場など人の集まる観光施設があったりする中流域から下流域とにすみわけていると捉えたほうが正確だろう。例えば、イヌワシが1970年代初めまで生息していた蛇谷(第3話の図1参照)の源・上流域を放棄したのは、その頃から蛇谷沿いにスーパー林道(多目的林道)建設の大工事が始まり、道路が蛇谷源流域を越えて岐阜県側まで伸びたことに原因があるからだ。
第三話補遺Ⅱ.キツネの雪山登り
先の第三話では脇役を勤めてくれたキツネを、今回はごく真近かで観察できた。鉢合わせのような出会いだった。
キツネはその瞬間、道路脇から小さい谷の雪崩跡に向かって3回ジャンプし、雪崩跡伝いに、あっという間にはるか上方へ姿を消した。谷の傾斜は急で30度を優に超えているが、登る身のこなしからは、あせっているとか、あわてふためいている様子は全く感じられない。むしろ悠々と登っている感じだ。それでいてなんとも早い。
これまでの調査で、私はブナオ山観察舎からキツネを幾度も見ているが、多くは正面オオノマ谷の雪崩跡か、すぐ上流にあるブナオ谷の雪崩跡をすいすいと登っていく姿だ。両方とも雪崩跡が200mを超えて長く、死角はほとんどないし、背景が真白だから、見つけやすいこともあるのかもしれない。尾根筋や斜面には高木や低木や大小さまざまな岩の露出があり、積雪にもむらがあって、仮にそこを登っていたとしても、姿のほんの一部がちらちらとしか見えないはずだからだ。しかし、日中ずっとブナオ山の斜面を監視している常駐職員に聞いても、キツネを見るほとんどは雪崩跡を登っていくときで、だから来訪者にも備え付けのプロミナで見せてやれるのだという。
ではなぜ、表面が凍てついていて固く、頻繁に雪が滑り落ちる急峻な谷の雪崩跡を、キツネはわざわざ選んで登るのか。そのわけを今回の観察で納得する。登山家は冬期登山の際、滑り止めとしてアイゼン(鉄製のつめ)を登山靴の底につける。まさにその“アイゼン”を、キツネは生まれながらにして持っているのだ。
キツネは氷の面に自前の鋭い爪を立てて登る。登山家はアイゼンを両足につけるが、キツネは後足だけでなく前足にもつけている。しかも登山家のように重い荷物を背負っていないし、胴体の重心の位置がごく低いから身も軽い。その上、雪崩跡には真っすぐな歩行を妨げる障害物(高木や低木、大小の岩々、雪の吹き溜まりや雪の穴など)がないから、スピードを変えずに楽々と登っていける。
私は第3話で、ブナオ山のてっぺんまで30分もあれば到着できる範囲に限定して、尾添川流域のキツネの生息数を推定したが、どうやらキツネの誇りを傷つけてしまったようだ。かれらが除雪された舗装道路をすたこら歩いてブナオ山の麓までいき、そこから雪崩跡に沿って急峻な斜面を一気に登り切るのに、30分というのはいささか時間のかかり過ぎで、半分の15分もあれば十分だと、いまは思える。
それにしても不思議なことに、これまで誰も、長い雪崩跡をひょいひょいと下っていくキツネを目撃していない。どうしてなのか、新たな謎だ。