第九話 グループでのフィールドワークの真骨頂

潮が見事に引いた風景

宮城県金華山島のサルを対象に毎年行っているアカンボウの出生数調査を、昨年(2025年)は5月29日から6月1日の期間、総勢8名で実施した。ただ筆者は所要で1日遅れ(30日から)の参加だった。

その日、鮎川港から定期船に乗り、金華山に着いたのは11時少し前。桟橋から調査小屋までは、いつも通り3.11東日本大震災と半年後のゲリラ豪雨でひどく崩壊した海岸道路を歩く(以下、地名はすべて図参照)。歩きながら筆者は潮が驚くほど引いた磯の風景に感動を覚え、何度も立ち止まって眺める。30日の干潮時刻は11時50分だから、春の大潮と干潮とが重なったのかもしれない。波は全くなく、じつに静かだ。陽射も優しい。もちろん周囲に人影もない。

これほどまでに潮の引いた景色を過去にいつ見たのか、記憶をたどるもはっきり思い出せないが、その時は、遠くまで飛び石伝いに楽に行けるから、サルの調査そっちのけで、食べて美味しい魚介類の採取に夢中になっていたに違いない。

潮の引きとサル

ところで金華山のサルは、食物が乏しくなる夏7月と8月および冬1月から3月の端境期、干潮の時刻に合わせて頻繁に磯に下り、海藻や貝などを飽食する。とくに島の南北に走る主稜を挟んで東側(太平洋側)に行動圏を持つ4群(B2、 C1、 C2、D群) がそうだ。一方西側(牡鹿半島側)に行動圏を持つ残り2群のうち、どういうわけかかつてはA群が、現在は B1群だけがめったに磯に下りない。しかし、春4月から6月は木や草の柔らかい新芽や新葉、色とりどりの花など山はサルにとって美味な食物に満ち、東側の4群でさえ磯に下りることはない。

それが今回の調査では、5月30日の夜半から翌31 日の丸一日、牡鹿半島全域に大雨・暴風警報が出続け、そのため31日はほとんど調査にならなかったが、29日には B1とB2群が、30日にはA、B2、C1、D群が磯に下りて採食したのが確認されている。

5月30日昼前に見たあの潮の引き具合(おそらく前日の29日も)とそれによる普段とは異なる磯の風景は、筆者だけでなくサルにとっても、きっと心揺さぶられるたぐいのものだったのだろう。山に好ましい食物が豊富にあっても磯に下りようという気をB1群にまで起こさせたのだから。もし天気が良ければ、日が長いので、調査員はゆっくり磯のサルを観察できたはずだし、小さいタイドプールで小魚を捕まえるとか珍しい食物を口にするのを目撃できたかもしれない。

イヌガヤの葉集中食い

冬の1月から3月、6群のうちB2とD群でイヌガヤの葉の集中食い(群れないし分派集団のサルがいっせいに夢中になって食べること)が、2016年から観察されてきた。そのほとんどは磯での採食を終えて引き上げて来た直後である。

筆者は1963年冬の下北半島西南部(脇野沢地区)、1970年冬の半島西北部(奥戸・大間地区)、1963年冬の金華山等で、群れが針葉樹林(下北はヒバ、金華山はモミ)を泊り場にし、特に翌朝吹雪いたりするとそこにしばらくとどまって、あとで調べに行くと地面にはそれらの食跡が、糞には細かく刻まれた大量の葉が入っているのを見てきた。ところが、以後の調査で筆者が泊り場まで群れを追尾しなくなったせいもあるが、上記3地域および各地のサルで、針葉樹の葉の集中食いが報告されなくなった。そんなことがあって、筆者はこの事実に注目してきた。

イヌガヤは葉がカヤによく似ているがカヤほど大木にはならず、樹高はせいぜい8〜10mまで。しかも金華山では本数がごく少なく(20〜30本ではないか)、かつ点在している。その 1本がニノ御殿(図参照)から60mほど東に下った千畳敷に向かう遊歩道のすぐ右側(南側)にある。樹高8mほどで一年中葉をびっしりつけ、規則的に花を咲かせ褐紫色の実をつける立派な木だ。筆者はその木を大震災の前後に見つけ、以後いつの調査でも一度は必ずそこを通るので、成長具合を含めチェックしてきた。

図1金華山の地形・地名の概略(クリックで拡大)

そして、島のサルの総個体数を調べる恒例の冬期一斉調査の昨年3月22日までは、サルがほんの僅かでも葉を食べた痕跡はなかったし、一方でB1群がその木を無視してすぐ近くで採食したり移動するのを繰り返し見てきた。だから今回、5月30日午後にそこを通ったときは本当に驚かされた。イヌガヤの木の上半分ほどの枝々に葉はほとんどついておらず、下半分もかなり食べられ、細めの枝の樹皮もかじり取られていたからだ。

その木のある地域は、かつてはD群が頻繁に利用しB2群も使っていたが、筆者がその木を見つけた前後からはB1群が南側のD群の主要行動圏に交尾期を中心に頻繁に進出するようになり、そのせいでD群は島の南端、灯台や東ノ崎のある一帯に“押し込められた”ような状態になっていた。それが最近は島の北側をよく使っていたので、D群はそれにあわせ上記した地域を再び利用しているかもしれない。

イヌガヤの木のまわりには新旧の糞がいくつも落ちていた。だから何回か食べに来ていたのは確かだ。

では、これはB1群の仕業なのか。それを確認するには群れを追尾するしかないか。B1群ではなく別の群れなら、その木の近くで何日も待つしかないか⋯。そんなもやもやを抱えながら、とりあえず目的の調査を済ませ夕方に調査小屋に戻る。そして前日(29日)に調査員が書き留めた「日々の調査記録」を見る。と、B1群は夕方遅くまで西側の磯一帯にいたのに(調査員はそこで頭数をフルカウントしているから分派していない)、日が暮れてからニノ御殿まで戻って来た別の調査員がイヌガヤの木の近くからクー・コールを聞いている。これはD群かB2群か、2群いずれかの分派集団かオス・グループだ。

やがて前夜に声を聞いた調査員が戻って来る。調査員はその日(30日)朝8時すぎ、前夜の声の主にイヌガヤの木の近くで出会い、南に向かうその集団を午後3時半まで追尾。集団は島の南端近くまで移動したのでD群(頭数は60頭ほど)の分派集団に間違いない。集団の頭数は追尾中に数回カウントして19頭で変わらなかったという。助かった。これでイヌガヤの成熟葉食いの主が特定できた。

D群はやはり島の東側の中央部、千畳敷のある磯まで再びやって来ていたのだ。その磯から主要行動圏に引き上げるルートは、海岸道路に出てからすぐ南へ向かうか、ニノ御殿への遊歩道伝いにクルミ林(地名、図参照)まで登ってそこから南に向かうのが普通で、群れ本体は29日も、以前と変わらぬどちらかのルートで南へ移動したはずだ。ところがイヌガヤの立派な木のあることを知ってしまった一部のサルは、クルミ林からサルの急ぎ足でなら10分ほどで行けるその木まで遊歩道伝いに一気に登り、葉を日暮れまで貪り、近くで泊って、翌朝本体のいる南へ引き上げたのだ(筆者は夏のホオノキの成熟葉集中食いと同様イヌガヤの葉食いも、ワカメなどの海藻食いと生理的に関係していると考えている)。

筆者にとって今回の金華山でのフィールドワークは、天候に恵まれず5月30日午後の僅か4時間弱というあまりにも情けないものだったが、潮の見事なまでの引きと、それが原因と考えられるこの季節では場違いのサルの磯での採食、および針葉樹イヌガヤの葉の集中食いとが、本来の調査目的(出生数の調査)の上にワン・セットで明らかになったわけで、これこそデータを共有できるグループワークの真骨頂の鮮やかな一例といえよう。