第一話 野生とは

野生とは何なのだろう。

ニホンザルのような知能の発達した動物では、置かれた状況で、人に対する態度がずいぶんと異なる。

戦後のしばらくは、全国どこのサルも、長いあいだ人に痛めつけられてきた歴史の重圧を背負って、警戒心がとても強く、人を見たらただちに逃げ去るという反応しかとらなかった。最初に人を発見したサルが逃走を開始する。群れの全員が間髪を入れずに続く。

そのとき、かれらがみごとに統制された集団行動をとっているかのように人には見え、逃げのびた先でなお辺りを警戒する一頭一頭からは、精悍さが溢れているようにも映ったものだ。

この態度は世代から世代へと受け継がれ、容易には変化しない。それを変えたのが“餌づけ”である。食べ物のもつ絶大な魅力を使うのだ。人の与える大量の餌の魅力に負けたかれらは、遮るもののない広い裸地(餌場)に連れ出され、観光資源として見せ物になった。1950年代初頭から1960年代にかけて、全国で誕生した餌づけザルを見せる施設、野猿公苑は43ヶ所にものぼった。

野猿公苑の餌場は、葉のおい茂る森の生活に馴染んだサルに、大変な緊張を強いる。観光客の唐突な振舞いや喧騒に対処しなければならないし、仲間と餌の奪い合いをしなければならない。とくにオトナのオスに緊張が高まる。かれらは苛立ち、不必要に力み返り、やたらと仲間を攻撃する。こういった態度が見る人に覇気を感じさせたのだろうが、どの野猿公苑でも、かれら、いわゆる“ボスザル”の顔写真が、立派な額に入れられて飾られてもいた。

野猿公苑では、やがてサルの世代が交代し、餌場育ちの世代がオトナになると、人に対する態度はへつらいや媚びへと変化する。餌場で餌の取り合いをするのは、主にオトナのメスだ。かの女らは親子姉妹がたがいに結託し、ときにはオスの力を借りて、強さを主張するようになる。そのようなメスの態度は、見る人に覇気ではなく、むしろ図々しさや意地汚なさを印象づけた。

ところが、餌場からいったん森へ引き上げると、サルの態度は一変する。かれらは人を見ても逃げないし、いくら近づいても、人が餌を持っていなければ、たいていは無関心だ。ただ、不用意にアカンボウに接近したり、オトナが横になって休んでいるすぐ近くをぶしつけに歩いたりすると、たちまち怒りを爆発させる。態度はじつに横柄だし、長く鋭い犬歯を振りかざすから、身の危険すら感じる。その際、餌場ではたがいにいがみ合っていたのに、きまってスクラムを組む。

サルの怒りを鎮めるには、じっとおとなしくしているしかない。とくに伐採跡地の二次林などきつい藪の中だと、かれらは頭上から攻撃でき、人をのんでかかるから、なおさらだ。そのような気迫のこもった粗暴さを目の当たりにすると、かれらへの恐怖や屈伏を通して、人はなにがしかの畏敬の念をも抱いた。

餌づけでなく、警戒心の強いサルの態度を変えさせる方法がもう一つある。それは“人づけ”と呼ばれる。来る日も来る日もかれらについて歩き、根気よく警戒心を取り除くやり方だ。人づけは大変に時間がかかる。とくに群れが大きいと、やっと馴れてきた何頭かが“壁”になり、馴れない大多数はその向こう側に位置するから、かれらに接近できる機会はほとんどない。馴らす作業は、餌づけのようにはおいそれと進まない。

それでも、やがてはサルとの根比べに勝ち、かれらにとって人は、同じ自然の中で共に生きるシカやカモシカほどの存在になる。かれらはもう人を警戒しないし緊張もしない。

そうなると、サルのごく普通の日常生活を眼前に見ることができる。その日常は少しもドラマチックではない。森の中でかれらは、できるだけ楽をしながら、食べては休み、食べては寝ることを淡々と繰り返す。そういった態度はひどく怠惰に映るし、それに退屈さを覚えない人はおそらくいないだろう。

ところで人は、サルに限らず、狭い檻に閉じ込められ、行動の自由を奪われた動物が示す、覇気のない、しょんぼりした、あるいは極度に苛々した、明らかに心を病んでいる振舞いを、痛ましいとも思い、同情もする。そして、頭の中でそれらと野生を対比させ、野生の生きざまを無条件に美化させてしまうことが多い。それは、人が野生の生死を賭した血湧き肉踊るドラマを常に期待するのとたいして変わりはない。事実その期待に応えるかのように、野生の保護が声高に論じられていた1970年代から1980年代にかけては、テレビのどの放送局も、週に一度は野生の番組を流していた。

うんざりするほどの退屈さも野生の顔なら、退屈なかれらの日常に生や性や死が深い影を落とす、長い時間幅でのドラマチックな一瞬も、野生の顔であることは確かだ。そういった野生の顔に人が見とれていた同じ頃、かれらの人への“反乱”が全国の津々浦々で深く執拗に浸透していた。

それに対し、人が本気になったのは、すなわち全国規模で“社会問題化”したのは、保護に替わって野生との共生が叫ばれるようになった1980年代後半になってからである。かれらの反乱は一般には“獣害”と呼ばれる。

この時点から、野生は人にとって戦うべき“敵”になったのだ。野生に対して人は初めて、憎悪や憤怒の感情をあらわにする。同時に、戦う相手の手強さも徐々に認識するようになった。

戦<いくさ>は年を追うごとに熾烈になり、1990年代後半から2000年代に入ると、共生は管理へと大きく舵を切る。そして、現在でも人は、戦の最前線で、勝った負けたに一喜一憂し続けている。

戦に際して人の用いる“兵器”は、最初はロケット花火やドラム缶だったが、次第にエスカレートし、今では電気柵や箱罠、括り罠、散弾銃やライフル銃がごく普通である。一方、それに対抗する野生側の兵器は、身に備わった犬歯や角ではない。繁殖力なのである。その戦況を“支配地域”の拡大という側面から見れば、野生側が明らかに優位に立っている。

この戦は、そう簡単には決着しないだろう。その間に、人の心象風景としての野生は、警戒や緊張、精悍さや覇気、へつらいや媚び、図々しさや意地汚なさ、横柄さや危険、畏敬や怠惰、退屈さやドラマチックさ、憎悪や憤怒ではなく、いったいどのようなものへと変わっていくのだろう。