第三話 謎解きの面白さ
自然に身を置いていると、いつのときも唐突に謎を仕掛けてくる。それに乗って、直感を働かせ、ああだこうだと類推し、想像を逞しくしながら、正解に挑む。この謎解きの醍醐味を味わったら、フィールドワークは間違いなく病み付きになる。最近の1例を紹介しよう。
この冬、2016年2月のことだ。石川県白山で、イヌワシの見慣れぬ行動を続けざまに目撃する。自然が謎を仕掛けてきたのだ。イヌワシはどうして不思議な行動をとったのか。私はこの謎解きを通して、奥山に君臨するイヌワシの弱点を、しかと認識することができた。
興味のある方は是非、以下で謎解きに参加してほしい。
1.白山での調査とイヌワシ
私はこれまで半世紀余り、石川県白山の北部山域、恐竜などの化石が見つかることで有名な手取川(てどりがわ)の、右岸に合流する大きな支流、尾添川(おぞがわ)流域で(図1)、野生ニホンザルの生態を調査してきた。
そして近年は、年に一度、2月後半の1週間から10日間、この流域にすむサルのセンサス(群れの数と群れごとの頭数の調査)を、研究仲間や学生ら10名前後と継続して実施している。一方で私は、そこにすむサルの歴史を記録し続けるという、明確な目的がある。
センサス期間中、上空高くで大きな弧を描く、雄壮なイヌワシの飛翔を見ない年はまずない。かつて1970年代前半までは、尾添川の支流、蛇谷(じゃだに)と雄谷(おだに)と目附谷(めっこだに)の上流域に(図1参照)、それぞれひとつがいが営巣し、繁殖していたが、その後蛇谷流域の開発が進んだことで、現在は、尾添川流域では、雄谷と目附谷にしか生息しない。
2.ブナオ山観察舎
尾添川の上・中流域は白山国立公園内で、公園の西の境界の一角に、石川県白山自然保護センターのブナオ山観察舎がある。観察舎には、積雪期間を中心に職員2名が常駐し、一般訪問客に白山の自然ガイドを行っている。
伏せた形のブナオ山(標高1365m)の南西斜面が、2階の観察室(1階は展示室)から正面直近(水平距離で450m)に眺められる(図2)。観察室から見て、イヌワシのすむ雄谷は、ブナオ山の裏側を流れ、観察舎から直線にして1.8キロメートルほど下(しも)で、尾添川右岸に合流する。そして、ブナオ山の上空に週に一~二度現れるのは、雄谷にすむイヌワシで、通常はごく短時間、3回か4回旋回するだけである。
なお常駐職員は、鳥はイヌワシとクマタカ、けものはサル、カモシカ、イノシシ、キツネと、ごく最近進出したシカ、それに雪融けに合わせて現れるクマを、頭数、地点、時間を含め、日々の業務日誌に記録している。図2の原図は、日誌に添付されている記録用スケッチである
3.目撃したイヌワシの行動
センサス初日(2月14日)は雨、翌日(15日)と翌々日(16日)は雪のちらつく寒い日だった。雪は4日目(17日)の午後から本降りになる。
私は本降りになる少し前から観察舎にいた。真正面、ブナオ山の急峻な南西斜面を、雪雲が上下動を繰り返しながら、徐々に覆い始める。
その、濃霧のような雪雲の底ぎりぎりに、突然イヌワシが現れる。イヌワシは首を左右下方に幾度か傾けながら、15回ほど旋回する(図3)。これほど低くを、しかもトビそっくりに、小さい弧を描いて飛ぶのを見たのは初めてのことだ。ただ数分後には、イヌワシも、正面の急斜面も、重い雪雲にかき消される。
翌日(18日)は一転、抜けるような青空が早朝から広がるが、観察舎の職員はイヌワシを見ていない。また、前日までの3日間(14~16日)も見なかったという。
問1.雪雲の底でトビのような飛翔をしたのはどうしてか。
2日後(19日)の昼下がり、私は観察舎から、急斜面の中腹を下流に向かう、群れのサルをカウントしていた。
その間、観察舎から見えるブナオ山のてっぺん(そこは標高1250m前後で、頂上はさらに奥にあって見えない)の上空低くを、一羽のイヌワシが旋回しては、翼をたたんで垂直急降下するのを2回見た。旋回したあと、てっぺんの木に止まるのは3回見た。サルのカウント中だったので目が離せず、見落としがあるかもしれないが、上空低くを何回も旋回する行動と、垂直急降下と、木にしばらく止まっている行動は、途中姿を確認できない時間を含め、延々2時間近く続いた(図4)。
イヌワシは、雲天だった翌日(20日)は姿を見せず、次の日はやや荒れ模様の天気で、ブナオ山のてっぺんより少し下を、下流から上流方向へ一直線に一回飛んだだけだと、職員はいう(図4参照)。
問2.通常はブナオ山の上空高くを、悠々と3~4回旋回するだけなのに、ずっと低い所を10数回も旋回したのは、いったいなぜなのか。
問3.垂直急降下を2回したのはどうしてか。
問4.樹上で3回も止まったのはなんのためだったのか。
問5.2時間近くもブナオ山のてっぺん一円に居続けたのはどうしてか。
4.直感したことの証拠固め
センサス最終日(20日)の夜、心地良いほろ酔い気分の中で、前日に見たイヌワシの行動一つ一つを、改めて脳裏に蘇らせていた。そのとき、あることを直感する。そうに違いない。だとすると、17日の行動も理解できる。
ここまで謎解きに参加してくれた方々のうち、上記五つの問いを難なくクリアされた方は、もう読み進める必要はない。イヌワシに素人の私が直感したのは、それほどたいしたことではないからだ。
私は直感したことの証拠固めの一つとして、14日から20日までの、ブナオ山を含む一帯にすむキツネとテンの目撃情報をチェックする。
私も調査員も、今回はキツネに出会っていない。一方、観察舎の業務日誌には、15日と16日の2日続けて、キツネが1頭、昼前後に、ブナオ山の急斜面を登っていったと書かれている。
テンは16日の午後、観察舎より上流の河原近くで、上方に向かう1頭を私が目視している。
5.キツネの頭数について
ところで、ブナオ山一帯にキツネは何頭いるのか。
私はこれまで、複数頭のキツネを見たことが二度ある。一度は蛇谷の、尾添川に合流する近くだ。そこの河原にカモシカの死体(オスの成獣)があり、2頭のキツネがすぐ脇で、眩しいほどの陽光に全身の毛を黄金色に輝かせながら、向かい合い、立ち上がって、しばし跳びはねていた。センサス時に、調査員が別々の場所で、ほぼ同時に観察したことは幾度もある。
もう一度は、目附谷に調査にいったときである。両岸が急峻なV字谷で、林道は右岸、ほぼ等高線に沿う形で、谷底から100メートルほどの高さにつけられているが、その林道が、深く切れ込んだ小さい谷のへこみを内側にぐるっと回り、次の尾根を外側に巻く、その先端の木陰で休息中のキツネを、続けざまに3頭見た。そのときは、なんとラッキーな、と思っただけだったが。
6.そこにカモシカの死体があった
突然キツネやテンの話をしたことでもうお気づきのように、私が直感したのは、観察舎からは見えないブナオ山のてっぺんのすぐ奥(裏側)に、カモシカの死体が横たわっていたに違いないということだ。
ブナオ山の山頂に、私はこれまで、真冬に2度、残雪期に1度登っている。そして、てっぺんのすぐ裏に、雄谷の左岸に注ぐ小さい支流の、水源にあたる窪地があるのを知っている。山頂は、そこからだらだらとした傾斜を東に向かって15分ほど登った先にある。
真冬に、その窪地までやって来る大型のけものは、カモシカのほかは考えられない。そこは雪崩が発生することはないから、カモシカは病死か自然死だろう。
いずれにせよ、観察舎からは見えないその窪地に、カモシカの死体を置いてみる。そうすると、問1の、雪雲の底をトビそっくりに繰り返し飛翔したのは、死体探しだったのだ。イヌワシはこのときすでに死体のありかを知っていた(後述)。しかし、厚い雪雲に覆われて視界はきかない。それでも、なんとか見つけ出そうと、実際とは少々ずれた場所で、雪雲の底をぐるぐると旋回していたわけである。
大空から俯瞰することを日常とするイヌワシにとって、その強力な視力と、ピンポイントでの地形や距離の把握とが連動していない(記憶できていない)ことの結果だろう(イヌワシの弱点その1)。
それ以上に、イヌワシも所詮は鳥だったのだ。死体がどんなににおっていても、肉食のけものと違い、哀しいかな嗅覚は全く使えない(イヌワシの弱点その2)。
雪の上で、しかも少々気温が低くても、死体は日中の日差しや地熱や微生物の増殖などで確実に腐っていく。腐肉臭は日増しに強くなり、風に乗って遠くまで拡散する。ブナオ山一帯にすむキツネとテンが、そのにおいに引き寄せられるように集まってくる。私がかつて見た2頭と3頭のいずれの場所も、キツネの足なら、雪が締まっていれば、10分か15分もあれば死体のある窪地に到着できる距離である。
そうすると、問2は、かれらが満腹して立ち去るのを待ちながら、それでも、自分の存在をアピールすることで、かれらにうっとおしさを覚えさせ、少しでも早く立ち去らせようとする行動ではなかったか。
問3は、地上の獲物を襲うときの行動と同じだが、このときはそうではなく、頭上すぐ近くを飛んでも立ち去らないかかれらを、死体から遠ざけるための、威嚇行動だったに違いない。残念ながらイヌワシは、テンはさておき、キツネを襲えない。武器が鋭いくちばしと大きな爪だけでは、とうてい太刀打ちできないのだ(弱点その3)。しかもそこには、複数頭のキツネがいた可能性が高い(後述)。
問4は、威嚇してもかれらが死体から離れようとしないので、イヌワシは木に止って、立ち去るのをただじっと待つしか、ほかに方法がなかったのだ。
問5は、少なくとも2時間近くは、上空低くを旋回してかれらをうっとおしがらせたり、垂直急降下して威嚇したり、木に止って長い待ちをしたりした最短の時間であり、そのあとも、観察舎からは見えない所で続いていたかもしれない。いずれにせよ、その日、イヌワシは空腹だったに違いない。おそらく、食べられる肉の残りはもうわずかになっていただろう。しかも、日暮れまでに、なんとしてもありつかないといけない。イヌワシの視力がいかほど優れていようと、「鳥目」だから、その視力を夜間は使えない(弱点その4)。
ところで、先に、目附谷の林道で休息中のキツネを続けざまに3頭見たことを述べたが、今思えば、その近くの河原にも、同じくカモシカの死体が横たわっていたとすると、納得がいく。
7.ほかに謎解きしたこと
以上が、イヌワシの行動について、謎解きした一部始終である。これから述べるのは、関連することで私が自らに問うた(追い打ちをかけるように自然が謎掛けしてきた)、いくつかの事柄である。
1)カモシカはいつ死んだか
センサス初日の2月14日は雨で、なま暖かい日だった。翌日と翌々日の昼前後には、観察舎職員が急斜面を登っていくキツネを見ている。翌々日(16日)はテンが登っていくのを私が目視している。
これらキツネとテンの動きから、14日前後には死体のにおいがきつくなったと推測される。そうすると、死んだのはおそらくその数日前のことだろう。
また、14日から16日までの3日間、天気が悪く、ブナオ山に雲のかかっている時間が多かったせいもあるかもしれないが、常駐職員はイヌワシを見ていない。ただ、17日のトビそっくりの飛翔からは、イヌワシはとっくにこの死体を発見していて、肉漁りもしていたはずである。
一方、キツネやテンは、普段は獲物を狩りに、死体のある窪地までわざわざ登っていくことはない。したがって、死体が腐り始める前は、イヌワシは独占していたと思われる。そのような状態では、すみかの雄谷の源流域から真っすぐ死体まで飛ぶはずだし、そうすると、観察舎からは見えない。それが、3日間続けて、職員がイヌワシを見なかった理由ではないか。
2)死体はいつ食べ尽くされたか
イヌワシと違って、キツネやテンは昼夜をわかたず、腹が減れば食べにいく。
ブナオ山一帯にすむキツネやテンがそれぞれ、入れ替わり立ち替わり、ないしは一緒に、繰り返し訪れては満腹するまで食べていけば、カモシカがたとえ大きなオトナ・オスだとしても、そう長くはもたないだろう。そして19日には、もう残りわずかになっていたと思われる。そうだとすると、その日のイヌワシの2時間弱にわたる執着とも符合する。
おそらく20日には、イヌワシがくちばしで引きちぎって食べられる肉は、すでになく、厚くて固い毛皮と骨だけの状態になっていたのではないか。この仮定は、翌21日、職員が尾添川の上流に向かって一直線に飛ぶイヌワシを、一瞬だけ見ていることからも頷ける。この飛翔は、てっぺんの上空高くを3~4回弧を描いて飛ぶ行動ほどではないが、観察舎からときどき見られるイヌワシの通常の行動である。
イヌワシはこの日、新たな食糧捜し(獲物探し)を開始したに違いない。
3)快晴の18日にだれも現れなかったのは
17日は午後からしっかり雪が降り、観察舎で50センチメートルほど積もった。ブナオ山のてっぺん一帯はさらに積もったはずだ。だから、晴れた翌朝(18日)の段階で、カモシカの死体は雪に埋もれていただろう。
どんなに快晴でも、新雪が締まってくる午後にならなくては、キツネやテンは動かない。しかも、前日(17日)に満腹するまで肉を食べていたとしたら、動いても、雪が締まって凍て始めるその日の夜になってからだ。
イヌワシはどうか。イヌワシの視力なら、新雪のそこだけに見られる変な盛上がり、ないしは角か足先か鼻面かがわずかに雪面から出ているだけでも、上空低くを飛べば、簡単に死体を見つけられるだろう。もし、死体が新雪に隠れて、どこにあるかわからなくなっていたら、17日に見られたような、死体を探す旋回行動を繰り返すだろうし、そうしたら、観察舎職員の目に止まらないはずがない。
4)ブナオ山一帯のキツネの生息頭数
先に、今回のイヌワシの行動に関与したキツネを、私のこれまでの直接観察から、複数頭(少なくても2~3頭)と推定した。しかし、実際はどうなのか。
キツネは山の中だけでなく、農耕地や村落、人の集まる温泉地やスキー場などの観光施設のある所、さらには市街地や都市部まで、人為的環境を巧みに利用して繁栄している例外的な野生動物だといわれている。だが、行動圏の広さは、すんでいる環境条件によってさまざまで、数ヘクタールから数百ヘクタールだという。これでは幅があり過ぎて、サルの群れの数のように、行動圏の広さから、一定地域におおよそ何群いるかといった荒っぽい予測すら、キツネの場合は立てがたい。
そこで、キツネがカモシカの死体のある推定場所まで、30分もあればいける範囲に限定して、生息状況を検討する。生息が考えられる地域は、これまでキツネを度々目撃しているか、巣穴を見つけているか、少なくとも足跡を頻繁に確認している地域である。
そうすると、尾添川の下流側からいえば、①東荒谷集落、二つの土建会社、目附谷のある一円、②尾添集落、中宮集落、中宮スキー場のある一円、③一里野温泉、一里野スキー場、中宮発電所、雄谷のある一円、④ブナオ山観察舎、三ツ又発電所、新岩間温泉、中ノ川と丸石谷のある一円、⑤白山自然保護センターの展示館や関連施設、中宮温泉、蛇谷のある一円の、計5地域に、少なくとも1頭ずつはいると推定される。
したがって、カモシカの死体に関わったキツネがブナオ山観察舎から目視された、その一頭だけ(2日とも同一個体だとして)ということはありえない。先に私が同時観察した3頭か、この、地域別に見た5頭というのが正解により近いだろう。なお、地域別に見た推定には、2月がキツネの繁殖期に含まれることは考慮されていない。
一方でテンは、キツネの数より多いと、これまでの経験からは考えられる。だとすると、先に推理したように、死体の肉が食べ尽くされるのに、それほどの日数は要しないことになる。ただ、死体の肉をめぐって、キツネとテンにどのような交渉が実際あったのかは、大変興味深いが、想像する手掛かりを私は持っていない。
5)イヌワシは腐肉漁りをするか
私はこれまで、イヌワシがけものの腐肉を漁るのを一度も見ていない。そうするクマタカなら2度目撃しているが。一方、常駐の職員は、冬場実際に見たことがあるという。
おそらく白山では、イヌワシやクマタカなど大型の猛禽類にとって、カモシカなどの大型のけものの死体は、労せずして大量の肉が手に入る、この上ない自然の恵みになっていると思われる。
一方で、同じ地域にサルやタヌキ、アナグマ、イタチなどのけものもすむが、たとえかれらが死んでも、キツネやテンが引きづって、あるいはイヌワシやクマタカ、トビ、ハシブトガラスなどがくわえて、ないしわしづかみして、持っていってしまい、今回のドラマのようなことにはけっしてならない。
6)イヌワシとクマタカの関係
調査地の尾添川流域には、イヌワシだけでなくクマタカも生息する。しかも、クマタカを目視する機会はイヌワシよりもはるかに多い。それは、雄谷や目附谷一円では、両者は標高800メートルから1000メートルのラインで、上部と下部とにすみわけていて、私の調査は主にクマタカのすむゾーンで行われているからだ。
今回私が予想したカモシカの死体の場所は、イヌワシの行動圏だから、イヌワシしか関わらなかった。だが、もし両者のすみわけゾーンでカモシカが死んでいたら、両者はいったいどうするのか。そのゾーンには、現在は、イノシシやシカもすむから、観察チャンスはいずれ訪れるかもしれない。まだしばらく、冬の白山に通い続けることにしよう。
8.おわりに
今回白山で実施したサルのセンサス期間中(2月14日~20日)、私は二度しか観察舎を訪れていない。それなのに、その二度に限って、しかも私が観察舎に滞在していた時間に限って、イヌワシが姿を現わした。そして、私の想像力や類推力が大変刺激され、思う存分に楽しませてもらった。
私はこれまでにも、ここ白山に限らず、宮城県金華山でも、青森県下北でも、南米アマゾンでも、フィールドに出るたびに、いくつもの心躍る幸運(つき)に恵まれてきたが、今回も間違いなくその一つである。
自然の女神はいつまで私にほほえみ続けてくれるのだろう。
去る7月15日に筆者と松岡史朗氏との共著で『自然がほほえむとき』(東京大学出版会)が上梓された。今回の第三話はあとがきでさらっと“予告”してある。なお、第一話と第二話はその本に収録した。自然に興味や関心のある方は、この第三話とともに 拙著にも目を通していただければ幸いである。