第五話 野生のうたが聴こえてる
セミの声は今も私を引き付ける。幼少の頃から親しんできたせいだろう。
夏場、体力的なこともあってフィールドワーク(野外調査)にあまり出なくなった一昨年(2015年)から、とくに意図があったわけではなく、セミの種類ごとに、いつからいつまで鳴くかの記録を取り始めた。記録は定点観察法を用いた。とはいっても大それたものではなく、拙宅の裏山と、毎日顔を出す宮城のサル調査会事務所の周囲の木立ちに場所を限っただけのことだ。これら二箇所はいずれも、仙台市街地の西部、広瀬川中流左岸の丘陵地に位置する。
それが3年目の今夏(2017年)、仙台が異常気象に見舞われたことで、セミの声を通して、私に野生を覗きみる思わぬ機会を与えてくれた。
定点観察地点一帯には、体の大きい順にエゾゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミの6種が生息する。奥山を好むコエゾゼミと、田んぼなど開けた低地を囲む薮がすみかのチッチゼミはいない。エゾハルゼミはいるにはいるが、晩春の6月に鳴き、6種が鳴き始める7月にはもう姿を消している。また日本人に馴染みのクマゼミは、おそらく温暖化によって現在も日本列島を北上中だが、まだ宮城県入りを果たしていない。
ところで、生息する6種のうち、エゾゼミは意外とマイナーな存在である。私の周囲に声はおろか姿さえ見たことのない人も多い。マツ林にこだわって生きている、当然個体数が少ない、体がマツの樹皮そっくりの保護色なので姿を見つけ難いなどにもよるが、一番の理由は鳴き声だろう。<ギ――――――――…>と鳴く声は低く、最初から最後まで単調で全く抑揚がなく、鳴き始めてから一旦鳴き止むまでが6種中最も長いから、聞き慣れないと耳に入らない。しかもマツ林は、ほぼ時期を同じくして鳴くアブラゼミも好み、その音量に圧倒されてしまうことにもよる。ただ、エゾゼミの声には独特の震えるようなビート音が含まれるから、それを聞き取れるようになれば識別は容易で、聞き損じは起こらない。
エゾゼミの話が長くなってしまったが、仙台の異常気象について、7月は蒸し蒸しした高温の日が続いた。それが8月に入る前後から打って変わって連日のように低温注意報や濃霧注意報が出されるようになった。降雨日も36日間連続という仙台での“新記録を樹立”した。晴れた暑い日に好んで鳴くセミたちにとって、これではたまったものではなく、思いもよらない苦難の年になったのは想像に難くない。
二箇所の定点観察地点での初鳴きは6種とも7月で、まずニイニイゼミが7月6日、続いてヒグラシが8日、アブラゼミが17日、ミンミンゼミが20日、エゾゼミが22日、最後がツクツクボウシで23日だった。定点観察では初鳴きは年ごとに数日から1週間ほど違うのは普通で、その点で今年の記録は昨年、一昨年とあまり変わらない。
一方鳴き納めは、エゾゼミとアブラゼミが8月末から9月初め、ツクツクボウシが9月末と、この3種は変わらなかったが、前2年は8月20日前後だったニイニイゼミとヒグラシは、今夏は1カ月も早い7月22日が最後だった。ということは、前者はわずか17日間、後者はさらに短く15日間しか羽化しなかったことになる。その理由はわからないが、結果として、交尾して無事産卵できた個体数はごく限られたはずだ。このことが来年以降にどんな影響を及ぼすのか。仕事が一つ増えてしまったな。
残りの1種ミンミンゼミはかれらとは逆で、前2年は9月初めが鳴き納めだったのに、今夏は頑張ったのだろう、ツクツクボウシと同じ9月30日だった。
ところでセミは、種ごとに一日のうちいつ鳴くかがおおよそ決まっているのだが、それも今夏は変わっていた。例年なら蝉時雨といって、同種の沢山の個体が一斉に、たがいに張り合い競い合うように大声を張り上げるのに、今夏はふいに訪れるわずかな晴れ間に、それが日中でなく早朝だろうと夕方遅くだろうと時間帯に関係なく、しかも2種や3種がたがいに他種の声に刺激されてのように、一斉に鳴いたことだ。深い霧に濡れ、そぼ降る雨にたたかれ、低温で体が冷え切っているはずなのにと思うと、その涙ぐましい努力(?)に同情を禁じ得なかった。セミの鳴き方でこんな思いに駆られたのは初めてだ。
鳴き声については、エゾゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシの3種の音色は普段と違っているようには聞き取れなかったが、ミンミンゼミは明らかに違っていた。かれらは人が発する鼻にかかったような声で<ミーウミウミウミウミィ――->と鳴き始め、それを5回から7、8回繰り返すのが常だが、鳴き納めに近い秋風の立つ頃になると、単独で鳴くことが多くなり、しかも最盛期のリズミカルで流暢だった声が<ミン・ミン・ミン・ミィ――>と、繰り返される<ミン>のひと声ひと声が区切られ、<ミ>にやけに力が入ったような声になる。それと同じ声を今夏、まさか最盛期に耳にするとは。そうしながらもかれらは、前2年より20日以上も長く鳴き続けた。
なにか結果を求めてではなく、単に記録してきただけのセミの声、とくにミンミンゼミの声が、3年目に突然訪れた異常気象でどう変わったかを知り得たのは幸運だった。そんなミンミンゼミだが、観察地点での鳴き納め、9月30日の2日後の10月2日、鳥やオニヤンマなどに捕まった時に鳴く<ギギギ>という声を聞く。声は<ギギギ>を3回繰り返して終り、3回とも声の強さが変わらなかったので捕食者からは逃げ延びれたはずだ。このミンミンゼミのオスは交尾相手を見つけ、最後の気力を振り絞って種付けに懸命だったのか。弱ってもぎりぎり生きていたのか。私は前者であってくれと心の中で願った。
そういえば、定点観察地点で例年ならよく見かける6種の抜け殻も、今年はどの種も圧倒的に少なかったな。しかし、異常気象による受難はなにもセミに限ったことではなく、飛んでる有象無象の小さな虫たちを空中で捕食するトンボもツバメもコウモリも、今夏はきっと食糧難だったに違いない。