第八話 老いてからの自然行脚

先の第七話でキツネの下痢糞について書いたが、注文した古林雅著『夜のイチジクの木の上で』が届いたので、夕食後に読み始める。

この本の舞台は、食肉目のシベット(ジャコウネコの仲間)が棲むボルネオの熱帯雨林。しかもシベットは夜行性で、果実を食べにイチジクなどの大木に頻繁に登るので、漆黒の闇が支配する厚い三次元の世界だ。私は読み進めていく中で、著者の表現力の豊かさにもよるが、熱帯の闇に関する記述に出会うたびに、その先は目では活字を追いながらも、脳裏にはアマゾンの夜の調査体験が次々と蘇る。

アマゾンには幾種類ものサルが分布し、すべて昼行性だが、唯一の例外がヨザルである。ヨザルは成獣で体長(頭胴長)が約35センチ、体重が約1キログラムと小さい。オスとメスとコドモの2頭から4頭のペア型の群れで生活する。私は1991年にこのサルの調査を実施した。

群れは高木の樹洞を昼間の塒(ねぐら)にしていて、塒から出るのが夜の帳が降りる午後6時ほんの少し前、戻るのは白々明けが始まる直前の午前5時20分から30分の間。したがって、その間が調査時間である。

アマゾンの闇の世界は風が全くない。空気は濃密で澱み、蒸し暑い。歩き始めると、その空気が肌にまとわりつき、汗が頬を伝う。また、動物ごとの固有の体臭や、さまざまな花や樹液の香り、果実が地面に落ちて発酵した甘酸っぱい匂いなど、ありとあらゆるものがミックスされ、なんとも表現しようのない独特のにおいが充満する。

空気が重いせいで、鳴き声や物音は近くのものしか聞こえない。それでも思いのほか騒やかだ。虫の音が最も多いが、鳥のけたたましい声が響き、けものの吠え声やうなり声も時に混ざる。貧歯目のアルマジロや齧歯目のパカやアグーチ(カピバラの仲間)などが落葉を踏み鳴らす音や、リクガメが地面を擦る音、ヨザルや食肉目で樹上性のキンカジューやオリンゴ(アライグマの仲間)が枝伝いに移動する際の葉ずれの音なども聞かれる。アマゾンの陸生哺乳類では最大のブラジルバク(奇蹄目)が私の突然の接近に驚いて逃げる足音の大きさは半端じゃない。食肉目のアカハナグマ(アライグマの仲間)は30頭ほどの集団で移動するから騒々しい。それに、時折ヤシの実など大きくて重い木の実が落下して地面をたたく音もする。これら多様な物音や鳴き声を通して、アマゾンに生きる森羅万象がうごめいているのを実感する。

漆黒の闇だから、音や声の主たちを目視できないが、簡易ヘッドライトや強力懐中電灯でなんとか補う。それでも、直接目にできるものもある。闇を切り裂くように前方から、光る二つの橙色が私のタバコの火目掛けて突進してくる。ヒカリコメツキだと分かってはいても、一瞬びくっとする。沢筋でにはホタルの瞬きが、倒木にはキノコの微かな青白い光がある。このように、アマゾンの闇の世界は私の五感を極限まで研ぎ澄ませてくれる。

ヨザルを夜ごと追って、今も一番印象に残っているのは、大木の太い横枝に並んで止まっている、翅を広げるとヨザルの体長の3分の2ほどもある大きなガを、抜き足差し足で接近しては跳びついて捕食する光景と、天敵のメガネフクロウが止まる枝の近くを、小枝を激しく揺すり、ティップ・ティップと鋭い声を発しながら、ぐるぐる跳び回って茶化し続ける光景だ。

もちろん失敗もある。調査を始めて間もない頃だが、ヨザルが高木の熟れた果実を食べに来て、夢中で貪り始める。ライトを照らしても下方の葉の茂りでほんのちらちらしか姿は見えないが、わずかな小枝の揺れや実が落ちて葉をたたく音でなんとか確認できる。それにしても今夜は採食時間が長いなと思っていたら、いつの間にか体がひと回り大きくて似た体色のキンカジューに入れ替わっていたことだ。この動物は纏綿(てんめん)性の尾を持つから、採食時にたてる物音の小ささはヨザルそっくりで区別はむずかしい。そのあとヨザル探しをするも見つけられなかった。

アマゾンの闇の記憶は際限がない。だが、齢(よわい)80を超えた今、再びヨザルを追いに、あの魅力溢れる闇夜の世界には戻れない。私を“だました”果実食者のキンカジューをボルネオのシベットとの比較で、かれが果実を食べたあと決まって下痢糞をするのか、調べたいと思っても、それも無理だ。

そんなことより、日本のフィールドでサルを追っているときも、かつてのように木にすいすいとは登れないし、肩で風を切って歩くどころの話ではなくなっている。私の自然行脚はこのままジリ貧状態に陥ってしまうのか。そんなやるせない思いに捉われることが最近多くなっている。
 
話は戻るが、本を読み終えて寝た翌朝、目覚めてもまだアマゾンの闇の鮮烈な記憶ともう戻れないというむなしさを引きずっていたに違いないが、コーヒーを飲みながらNHK朝ドラ『カムカム・エヴリバディ』を見ていた時だ。テレビの画面は映画撮影村の撮影風景に変わり、一瞬画面が真っ黒になったあと、撮影中の映画『妖怪七変化!隠れ里の決闘』の主人公、棗黍之丞(なつめきびのじょう)が黒い画面から剣を右手に構えて登場。「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしかきこえぬ歌がある」と口ずさむ。この台詞、これまで聞いたときには特別何も思わなかったが、その時は心に響く。目を閉じて台詞を反復する。そうこうしているうちに、暗闇と私の歳(とし)が重なり、歳とこれからの自然行脚とが重なる。

そうだよな。“老いてしか観えぬ野生の息吹がある。老いてしか聴こえぬ野生の詩がある。”

窓から差し込む朝日のように、気持ちが晴れやかになるのを自覚する。これからの自然行脚ではどんな楽しさが待っているのだろう。野生の神秘を垣間見る喜びにどれだけ浸れるのだろう。きっと自然の女神がほほえんでくれて、これからもまだエッセイを書き続けられるに違いない。