第七話 自然の手強い一面

まさかりの形をした下北半島の、刃にあたる部分の中央を北から南に流れる川内川の流域で、昨年(2021年)の夏、人馴れしていないサルの群れを追っていた。

群れは一つではない。かれらは夏場、川内川中流左岸に合流する湯野川一帯によく出没する。そこに群れがいくついて、群れごとに何頭いるかを調べるのが目的だ。

調査最終日の午後、湯野川と川内川の合流点にある小さな集落に向かって、上流側から、群れが暗いスギ林伝いに移動していた。家々の裏庭はどこも畑になっていて、お盆で都会から里帰りする子供や孫たち用に、他の野菜とともにトウモロコシが必ず植えられている。しかし、コロナ禍で里帰りが中止され、老夫婦だけで食べるには多過ぎるのだろう、半ば放置された状態だ。食べに来たサルの追い払いにもあまり熱意が感じられない。

私は集落のすぐ背後にある伐開地へ向かう。トウモロコシを食べ終わって引き上げるところを、伐開地からだと死角がほとんどないから数えやすい。車を路地に停め、ブルドーザーで削っただけの坂道を歩く。

キツネの古い糞が一つ、法面側ぎりぎりにある。と、少し先、作業道が急カーブしている所にキツネがいて、即座に踵を返して立ち去る。また糞がある。やや新しい。同じく法面側ぎりぎりだ。さらに数歩歩いた先にトウモロコシ(雌穂)が一本落ちている。皮(苞葉)がはぎ取られて散らばり、芯(穂軸)に黄色く熟れた粒(子実ないし殻実、普通の植物の種子に相当)は全く残っていない。キツネはトウモロコシも食べるんだ。

さらに数歩先に、一辺が12センチほどの×印を描いた下痢糞を見る。キツネがいた急カーブはすぐそこだ。わずかに白濁した透明な粘液状の糞の中には、粒の中身(胚乳)が絞り出されてぺしゃんこになったごく薄い皮(子実の皮)が、点々と15個ほど入っている。粘液は瑞々しい。鉢合わせする直前に排泄されたに違いない。

古い糞を見つけ、キツネに出会い、トウモロコシの食痕を見、下痢糞に行き当たるまで、トータルで2~3分ほどだ。私はサルのいる畑を見下ろせる場所へと急ぐ。

調査から仙台に戻って少し後のことだ。朝起きていつも通り開いた新聞の、第一面最下欄に並ぶ新刊本の広告の中に、目立って大きな活字の『夜のイチヂクの木の上で』という不思議な本のタイトルが目に入る。なにこれ?その下に書かれたごく小さな活字の3行の内容説明を読む。「食肉目なのになぜか果実をよく食べ、毎日下痢している不思議な動物シベット」とある。えっ、“盆前の下北の田舎の路地裏で”見たあの下痢糞はそうだったのか。

だが待てよ。キツネは動物も植物も食べるオポチュニストで、秋にはヤマブドウやサルナシなどの実も好んで食べるといわれている。しかし、実を食べて下痢したという話を聞いたことがない。果実と胚乳で消化に違いがあるのか。トウモロコシを食べ過ぎたことによるのか。あるいは、私が見たのは嘔吐物だったかもしれない。

自然の中で私が観察しているのは個体の外側、すなわち、その動物の生態や行動で、そこに個体の内側、生理にかかわる事柄が絡んでくると、そう簡単にはすっきりさせてくれないものだ。

それはそうと、あのキツネの糞や食痕はいずれも、隅っこ、作業道の法面側ぎりぎりの所にあって、サルとは正反対。その行動の違いは興味深い。